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杉原千畝 不屈の生涯 人生「まさか!?」の生かし方の感想

こんばんは。


今日も暖かくて良い天候の一日ですね。


先週、Eテレの番組を告知した
杉原千畝 不屈の生涯 人生(まさか!?)の生かし方」を
視聴しました。

人は生きていれば「まさか!?」と思うことは多いですよね。

杉原千畝さんは「命のビザ」で有名になった外交官です。

「まさか!?」を人生に生かす方法とは?

杉原さんは英語を使う外交官を志望してたそうです。
ただ、募集要項には英語がありませんでした。

外交官の合格を貰ったけど、ロシア語担当になり
満州ハルビン(現在:中国)へ派遣されました。

駐在外交員はロシア語が話せない人が多いことを知り、
1、2年でロシア語をマスターしたそうです。

周りの人がやろうとしていないところに
チャンスがあり居場所を見つけることが出来ると思った。

譲れない一線は守り抜け!

当時、陸軍隊長にスパイの要請があったみたいです。
報酬も高額条件を提示されても杉原氏は「断固拒否」。

今まで、外交交渉で助けてもらったロシア人を危険な目に合わせるわけには
いかないと理由で辞職されたそうです。


これは私もそうです。
以前、ビジネスの紹介でそこそこ良い条件の仕事を依頼されましたが、
私の友達も巻き込まれる可能性が大いにあったので、
断固拒否しました。友達をお金に換金できない強い意志があったからです。

そして、1939年8月にリトアニア・カナウスへ派遣。

カナウスにある日本領事館。

領事館の中です。

ナチス・ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、
ポーランド在住のユダヤ人がリトアニアへ逃げて、
その当時、リトアニアの首都がカナウスでした。

ソビエトもポーランドへ侵攻してポーランドがなくなり、
リトアニアはソ連に併合させられます。

ユダヤ人はなんとか日本の通過ビザを取得して、
アメリカなど安全な国へ目指してました。

マスコミ報道の事実と私がリトアニアで知った事実は違いがありました。


杉原氏は外務省の命令を背いてビザ発行したとは言ってなかったそうです。
もし、ビザ発行しても日本へ入国が出来ないからです。
2139のビザ発行したことは事実なのですごいと思いました。


人生は本当に「まさか!?」ということがある中で、
自分はどれだけできるか。
自分の潜在能力がどれだけあるか、
試されるチャンスなのかもしれません。


よく「ピンチはチャンス」と聞きますが、
ピンチをなんとか改善すれば、
自分の人生の転機が生まれると思いました。


追記:今年2月にカナウス日本領事館に訪れた時の写真です。




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